Homeへ» サイン事典
花押とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本の歴代内閣総理大臣の花押(初代から44代まで)花押(かおう、華押)とは、署名の代わりに使用される記号・符号をいう。

元々は、文書へ自らの名を普通に自署していたものが、署名者本人と他者とを明確に区別するため、次第に自署が図案化・文様化していき、特殊な形状を持つ花押が生まれた。花押は、主に東アジアの漢字文化圏に見られる。中国の唐(8世紀ごろ)において発生したと考えられており、日本では平安時代中期(10世紀ごろ)から使用され始め、判(はん)、書判(かきはん)などとも呼ばれ、江戸時代まで盛んに用いられた。世界各地においても、花押の類例(イスラム圏でのトゥグラなど)が見られる。
日本の花押
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本では、初めは名を楷書体で自署したが、次第に草書体にくずした署名(草名(そうみょう)という)となり、それを極端に形様化したものを花押と呼んだ。日本の花押の最古例は、10世紀中葉ごろに求められるが、この時期は草名体のものが多い。11世紀に入ると、実名2字の部分(偏や旁など)を組み合わせて図案化した二合体が生まれた。また、同時期に、実名のうち1字だけを図案化した一字体も散見されるようになった。いずれの場合でも、花押が自署の代用であることを踏まえて、実名をもとにして作成されることが原則であった。なお、当初は貴族社会に生まれた花押だったが、11世紀後期ごろから、庶民の文書(田地売券など)にも花押が現れ始めた。当時の庶民の花押の特徴は、実名と花押を併記する点にあった(花押は実名の代用であるから、本来なら花押のみで十分である)。

鎌倉時代以降、武士による文書発給が格段に増加したことに伴い、武士の花押の用例も激増した。そのため、貴族のものとは異なる、武士特有の花押の形状・署記方法が生まれた。これを武家様(ぶけよう)といい、貴族の花押の様式を公家様(くげよう)という。本来、実名をもとに作る花押であるが、鎌倉期以降の武士には、実名とは関係なく父祖や主君の花押を模倣する傾向があった。もう一つの武士花押の特徴として、平安期の庶民慣習を受け継ぎ、実名と花押を併記していたことが挙げられる。武士は右筆に文書を作成させ、自らは花押のみを記すことが通例となっていた。そのため、文書の真偽を判定する場合、公家法では筆跡照合が重視されたのに対し、武家法では花押の照合が重要とされた。

豊臣秀吉の花押戦国時代になると、花押の様式が著しく多様化した。必ずしも、実名をもとに花押が作成されなくなっており、織田信長の「麟」字花押や羽柴秀吉(豊臣秀吉)の「悉」字花押[1]、伊達政宗の鳥(セキレイ)を図案化した花押などの例が見られる。家督を継いだ子が、父の花押を引き継ぐ例も多くあり、花押が自署という役割だけでなく、特定の地位を象徴する役割も担い始めていたと考えられている。花押を版刻したものを墨で押印する花押型(かおうがた)は、鎌倉期から見られるが、戦国期になって広く使用されるようになり、江戸期にはさらに普及した。この花押型の普及は、花押が印章と同じように用いられ始めたことを示している。これを花押の印章化という。

江戸時代には、花押の使用例が少なくなり、印鑑の使用例が増加していった。特に百姓層では、江戸中期ごろから花押が見られなくなり、もっぱら印鑑が用いられるようになった。

1873年(明治6年)には、実印のない証書は裁判上の証拠にならない旨の太政官布告が発せられた。花押が禁止されたわけではないものの、ほぼ姿を消し、印鑑が取って代わることとなった。その後、押印を要求する文書については必要に応じて法定され、対象外の文書であっても押印の有無自体は文書の真正の証明に関する問題として扱われることに伴い、上記太政官布告は失効した。しかし、花押に署名としての効力はあり、押印を要する文書についても花押を押印の一種として認めるべき旨の見解(自筆証書遺言に要求される押印など)が現れるようになった。また、政府閣議における閣僚署名は、明治以降現在も、花押で行うことが慣習となっている。

21世紀の日本では、パスポートやクレジットカードの署名、企業での稟議、官公庁での決裁などに花押が用いられることがあるが、印章捺印の方が早くて簡便である為非常に稀である。
花押の分類
江戸中期の故実家伊勢貞丈(いせさだたけ)は、花押を5種類に分類しており(『押字考』)、後世の研究家も概ねこの5分類を踏襲している。5分類は、草名体、二合体、一字体、別用体、明朝体である(前三者は上記#略史を参照)。

別用体とは、文字ではなく絵などを図案化したものをいう。

明朝体とは、上下に並行した横線を2本書き、中間に図案を入れたものをいう。明朝体は、明の太祖がこの形式の花押を用いたことに由来するといわれ、徳川家康が採用したことから徳川将軍に代々継承され、江戸時代の花押の基本形となり、徳川判とも呼ばれた。

上記の他、次のような分類がある。

公家様と武家様

禅僧様(鎌倉期に中国から来日した禅僧が用いた様式。直線や丸など形象化されたものが多い。)

一説には、「秀吉」を音読みにして「しゅうきつ」とし、その最初と最後の一文字を合わせて「しつ」に由来するといわれている。
中国の花押
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中国の花押の起源は、文献(高似孫『緯略』)によると南北朝時代の斉にまで遡ることができる(秦や晋の時代とする説もある)。唐代には韋陟の走り書きの署名があまりに流麗であったので「五朶雲(ごだうん)」と称揚された(『唐書』韋陟伝)。この署名は明らかに花押のことである。中国では現存する古文書が少ないこともあり、花押の実態は必ずしも明かではない。宋代の文書に記されている花押は、直線や丸を組み合わせた比較的簡単なものであり、日本の禅僧様もこの形式である。また、明の太祖が用いたとされる明朝体は、日本に伝わり、江戸時代の花押の主流をなした。

なお、五代の頃より花押を印章にした花押印が使われ始め、宋代には花押印そのものを押字あるいは押と呼称した。元朝では支配民族であるモンゴル人官吏の間でもてはやされたが、これを特に元押という。モンゴル人官吏は漢字に馴染めなかったようである(陶宗儀『南村輟耕録』)。花押印は明清まで続いたが次第に使われなくなった。
世界の花押
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イスラム圏では、装飾的なアラビア書道(カリグラフィ)が発達した。特にオスマン帝国のスルタンのみに許された非常に壮麗な署名はトゥグラと呼ばれ、イスラム文化を代表する芸術作品の一つとされている。
署名(サイン)とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

署名(しょめい)とは、行為者がある行為(例えばクレジットカードの利用時)をする際に自己の氏名を自署することである。
署名と印章との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

署名(サイン)と印章とは、ともに自己同一性を証明するものとして洋の東西を問わず古来広く使用されてきた。花押も署名の一種と理解される。

日本においては、律令制度の確立以降は印章が重視されていたが、次第に簡便な署名が通用するようになり、中世以降は花押全盛となる。もっとも、戦国時代から印章の使用も再度広まり始め朱印状などが発行されるようになる。江戸時代になると、印章の使用も広がる。明治時代以降は印章が非常に重視されるようになる。もっとも、閣議署名は今なお花押が使用されている。なお刑法においては、「印章又は署名」「印章若しくは署名」等のように同列に扱われており、署名や印章の偽造等は犯罪とされている。

西洋においても、印章と署名との盛衰がある。また、他人が偽造出来ないよう、特別な書き方が為される(署名を考案し、且つ全く同一の筆跡に出来る様指導してくれる業者が存在する)。
法律上の署名行為
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

通例、意思表示があったことを示すものとされる。

日本法上、本来「署名」とは自署(手書きの記名、いわゆるサイン)を指すが、自署に代えて記名捺印が求められることが多い。商法32条は、商法上の署名は記名捺印で代えることができることを規定している。記名捺印とは、氏名・名称を記し(手書きに限らず印刷等で構わない)、併せて印鑑を押捺することをいう。

署名と押印の両方が必要とされる場合には、署名を記名捺印で代えることができない。そのような例はごく少数であるが、たとえば遺言の作成に当たっては、自筆証書遺言の場合は遺言者の、秘密証書遺言と公正証書遺言の場合は遺言者、証人と公証人の、それぞれ署名と押印が必要である(民法第968条、第969条、第970条)。また、戸籍に関する届出も届出人や証人の署名と押印が必要とされる(戸籍法第29条)が、署名できないときには氏名を代書させ押印(または拇印)することで足りる(戸籍法施行規則第62条。ちなみに印を持っていないときには署名だけで足りる)。

日本法上の手形の券面上の署名についての解釈論については、手形理論、手形行為等の項目を参照。

なお、日本において法令上押印を求められる場合でも、外国人については外国人ノ署名捺印及無資力証明ニ関スル法律により署名をもって足りるものとされている。
条約に拘束される意思を示す署名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

通常の条約は、一定数の国家が条約に拘束されることへの同意を示すことによって効力を発生する。このような意思を表明する方法としては、批准、受諾、承認、加入などがある。このうち、批准、受諾とは、条約に署名することによって将来的に条約に拘束される意思があることを予め表明(条約の内容に対する基本的な賛意の表明)し、その後に国会による承認等の所要の国内手続を行って、しかる後に条約の事務局等に批准書等を寄託することによって条約に拘束される手続のことである。署名の要・不要や、署名が可能な期間等は条約中に規定されている。日本の場合、条約への署名を行う際には、事前に閣議決定が必要なため、署名を行うのは重要な条約のみに限られる傾向がある。

例えば、京都議定書第24条1には次のように規定されている。

この議定書は、条約の締約国である国家及び地域的な経済統合のための機関による署名のために開放されるものとし、批准され、受諾され又は承認されなければならない。この議定書は、千九百九十八年三月十六日から千九百九十九年三月十五日までニュー・ヨークにある国際連合本部において、署名のために開放しておく。この議定書は、この議定書の署名のための期間の終了の日の後は、加入のために開放しておく。批准書、受諾書、承認書又は加入書は、寄託者に寄託する。
デジタル署名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デジタル署名とは、書面上の手書き署名のセキュリティ特性を模倣するために用いられる公開鍵暗号の一種である。
電子署名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

電子署名(でんししょめい)とは、電磁的記録(電子文書)に付与する、電子的な徴証であり、紙文書における印やサイン(署名)に相当する役割をはたすものである。主に本人確認、偽造・改竄(かいざん)の防止のために用いられる。

電子署名を実現する仕組みとしては、公開鍵暗号方式に基づくデジタル署名が有力である。日本では電子署名及び認証業務に関する法律(電子署名法)にて、RSA、DSA、ECDSA の3方式を指定している。いずれも公開鍵暗号方式に基づく方式である。
印章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

印章(いんしょう、英: seal)は、木、竹、石、角、象牙、金属、合成樹脂などに文字やシンボルを彫刻し、個人・団体または官職のしるしとして、公私の文書に押し、その責任や権威を証明するもの。印(いん)、判(はん)、印判(いんはん)、印形(いんけい)、判子(はんこ)ともいい、紙などに印章を押したあとを印影(いんえい)という。また、印章を押すことを押印(おういん)、捺印(なついん)、押捺(おうなつ)という。
印に関する主な用語はそれぞれ次の意味がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


印章または印影であり、一定の権利・強制力を有するもの


印章や印影ではあるが、記号・情報としての機能しか持たないもの

印章
はんこの本体側。印材を加工・成形して作られる

印影
押された結果(紙側)

印鑑
照合用の印影

印矩(いんく)
印を押すための定規のことで、L字型・T字型のものが一般的である。印矩を用いれば押し直すことができる。[1]

印褥(いんじょく)
捺印のとき下に敷いて用いる台のこと。既製品もあるが、鏡などの少し厚手の平らなガラス板の上に、画仙紙を数枚のせて用いても具合がよい。むらなくおせるようになる。[1]
印章を用いて、紙面に印影を残すことを押印(おういん)または捺印(なついん)と言い、「契約書に押印 / 捺印する」などというように使用される。
印章の側面にあるくぼみは「座繰り(ざぐり)」と言う。
しばしば、印章と同じ意味で印鑑という語が用いられることもある。古くは、印影と印章の所有者(押印した者)を一致させるために、印章を登録させた。この印影の登録簿を指して印鑑と呼んだ。転じて、登録した印章自体も印鑑と呼ぶようになった。このため、印鑑登録した印章や銀行に届け出た印章など、何らかの登録を受けた印章を特に印鑑と呼んで区別することもある。
このウィンドウを閉じる